心をささげる礼拝、勝利の歩み

「ささげる」とは、「あげる」ことです。
ということは、「心をささげる」とは=「心をあげる」ことです。


礼拝の本質は、「主に心をささげる」こと、「主に自分の心をあげる」こと。
英語では「ささげる」という語に「サレンダー」を使っています。
サレンダーは「降伏する、従事する」という意味です。
「主に降伏する」ことが礼拝であるということです。


主に降伏する。
降伏とは、100%負けを認めることです。
95%では充分ではありません。100%です。


聖書は・・・
自分で敗北を認識したところで、従っていく人生が始まると語ります。
自分の敗北を認めところから主が働かれ勝利すると・・・。


しかし、心をささげて、自分をあげたことそのものが勝利をもたらすわけではありません。
敗北を認めるだけでは何も始まりません。
自分をささげてしまったので自分の心はそこにはありません。
その空いてしまった自分の新しい支配者に、イエス様をお迎えするのです。



使徒パウロは、自分の心を明け渡し、聖なるいけにえとしてささげることを人々に勧めています。(ローマの信徒への手紙 12章1節)
パウロは勝利の人生を歩んでいたのです。