放蕩息子、ボストン

全米、いやひょっとしたら全世界の人々がボストンのことを想う日、そして神の御業に心を震わせる日、それが感謝祭(Thanksgiving Day)です。

アメリカで最初に神を「父」と呼んだところ。
1620年、信仰の自由を求めてやってきた主をあがめる者たちによって・・・
命があり生きていること、生かされていること、食べるもの、住まうところを、そして助け人を与えてくださり、神を思いながら、最初に神に感謝をささげたところがボストンなのです。

清教徒の魂だったボストン。
今一番、神を「父」と呼ぶ者が少ない街となってしまいました。


金曜日の夜、ボストン、ケンブリッジの若者たちは学校周辺にある歓楽街を快楽を求めてさまよい歩いています。
心にぽっかり空いた穴を埋めるために。
神はいないと言いながら、真理を求めて。

祈り会に向かう車窓の中から見える景色は、いつも憂いに満ち溢れています。


神が特別に愛されたボストンに戻ってくる時が近づいてきました。
放蕩息子は父のもとに帰るのです。
だから今、私たちは、神を「父」と呼ぶ者たちが、再びたくさん起こされるために祈らなければならないのです。
祈るのです。