ボストン・パラドックス

NJの姉妹より新年ご挨拶のメールをいただきました。そこには心温まる励ましのメッセージも添えられていました。
あまりにも感動したので紹介させてください。


以下、メールより抜粋


「ボストン・パラドックス」という韓国のキム・ジョンピルという方のエッセイを読んだので送りますね。


ホール博士に会うまで、私は神を責めるように祈りました。「なぜこんなに霊的に死んだボストンに私を送られたのですか。毎日目にするのは人々のかたい表情、耳にするのは冷たい声ばかりです。」しかしホール博士の話は私のボストンに関する霊的判断が間違っていた事を教えてくれました。ボストンの白人教会は、私が見て聞いた通りにひとつづつなくなり、死んでいきました。しかし、その場からリバイバルの芽が出ていました。それをホール博士は「静かなリバイバル」と呼びました。なくなっていった白人教会の場所には、ラテン系教会や黒人教会、アジア系教会が静かなリバイバルを起こしていたのです。ボストンは「若さと知性が豊かなアメリカのアテネ」と呼ばれています。ボストンは生きている巨大な歴史の教科書であると言っても過言ではありません。1600年、宗教の自由を求めてやってきたピューリタンの船が最初に到着したのがボストンです。独立戦争の引き金となった「ボストン茶会事件」もボストンで起きました。このように、ボストンで生まれ育った「ボストニアン」に限らず、大多数のアメリカ人にとって、ボストンは歴史と教育において最高の都市とされています。だからといって、ボストニアンの生活は優雅なわけではなく、アメリカ国内でも彼らのせっかちで気まぐれな性格は有名です。ボストニアンの歴史と教育に関する自負と、せっかちで気まぐれな性格だけが、ボストン・パラドックスではありません。この矛盾のように、霊的な部分でも教会の衰退とリバイバルが共存しているのです。


誠子先生のお話やブログのおかげで、このエッセイをうわすべりではなく深く読むことができました。「白人教会をなかなか売らない」と誠子先生から伺っていましたが、ひとつづつひとつづつ解放され、ゆっくりではあるけれど、歩幅は狭いかもしれないけれど一歩づつ前進しているに違いありません。
荒野に歩み出すことは、主のみ旨であり、主のみ旨なら必ず主の恵みがあります。
期待出来ないときにも、神の恵みは続いています。偶然のように見えることにも神の目的があります。主の働きを担い、神の道に従う誠子先生に神様の栄光が現されますように。


以上、抜粋終了



そうですよね、そうですよね・・・神の恵みは私たちがどのような状況や環境にあろうと永遠に続きます。


申命記28章1〜14節には神の「祝福リスト」が掲載されています。
「主はあなたのために、あなたの穀倉に対しても、あなたの手の動きすべてに対しても祝福を定められ、あなたの神、主が与えられる土地であなたを祝福される。」(8節)


昨日、今年最初の学生たちの祈り会に参加しとても感銘を受けました。
勉学や研究ばかりに追われている彼らは先ず悔い改め、神ともっと深く交わりたいと熱心に祈っていました。
祈りの中で、そのパラドックスの中で、神は私にビジョンを見せてくださいました。


2011年、主はこのボストンで・・・どのような奇跡を私に体験させてくださるのでしょうか。従順しおおいに働かせていただきます。主よ、あなたに期待しています。
姉妹、どうもありがとうございます。
あなたの素晴らしい賜物が主に大きく大胆に、神と人とをつなぐ良き管として用いられますように。
感謝しています!!