えつこさんから学んだ神のセンス

神さまは、私に二人の「えつこさん」をプレゼントしてくれました。


えつこさんと言えば・・・現在、日本にある母教会で執事夫人として仕えている悦子姉。出会いは4年前でした。ボストンに来てからの3年間、馴れない私に街の魅力をいろいろ教えてくれました。苦楽を共にし、主にあって本当に親しく交流させていただきました。互いの目を見るだけで何が言いたいかわかるくらいにです。そんな彼女が帰国し、寂しくなったなと思っていた時に出会ったのが・・・もう一人のえつこさん、悦子博士です。ちょうど1年前のこと。
悦子博士は生物学がご専門。優秀な植物研究者です。


最近になって、悦子博士とバイブルスタディーを始めました。
そこで見る彼女の今までと違った一面に、しばし感動しています。


極めたいなら・・・追求しなければなりません。
だから彼女は博士、専門分野で卓越した才能を発揮しています。
そこには、専門違いの私が触れられないような崇高な美しさ(美学)がともなっています。
知りたいなら、知りたいと願い、それ求めていく。
今、彼女が知りたいのは聖書の神さまです。
そして、彼女の内側からにじみ出てくるものは柔和と謙遜。
いつも真摯です。
私は、その姿勢を美しいと感じることがあります。
神さまが悦子博士を愛されておられるのが手にとるようにわかるからです。


私は、彼女といるといつも考えることがあります。
牧師はなぜ「聖職者」と呼ばれるのか。
この世にあって、神の御言葉をとりつぐのですから、そこにおいては卓越した聖さ、美しさをもっているべきです。
それは神によって与えられいます。
そして召しによって私は今ここに生かされていることを忘れてはなりません。
「世に倣ってはいけません」
聖職者は先ず、世が平和になること、人の心が平安になることを神に“願い祈る”ことに卓越した才能を発揮しなければならない・・・そう思います。
その姿勢が、主の栄光(シャカイナ・グローリー)によって聖く美しく輝くからです。

聖職者と言ったって、所詮人間だから無理・・・ではありません。
私たちは神のかたちに創られた、神の作品です。
そこには神の美学(センス)があるのです。
          

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